新年のご挨拶
おかげ様
おかげ様で遊行七十四代を相承して十三年、満九十七歳をむかえる新年となりました。
日本は世界一の長寿国です。
九十七歳は、平均寿命はもちろんのこと、健康寿命においても平均を大きく越えています。
少子高齢化社会をむかえ、医療介護等の社会保障の重要性が叫ばれている今、健康寿命の増進は最も大切なことだと信じています。
私たち大正生まれの者は、「おかげ様」の言葉をよく耳にしました。
私が元気に九十七歳をむかえることが出来たのは、「他力不思議の力」、特にお念仏のおかげがあったことをこの頃身に沁みて感謝しています。「口にまかせて称うれば声に生死の罪消えぬ…」とのお言葉。その教えの真実であることもこの頃理解出来るようになりました。
九十七歳を迎えるまでには、幾度も生と死の境界を彷徨いました。有難いことに死の一歩手前で救われたことは、今振り返ってみれば十二回ほどありました。
新年を迎えるにあたり、毎年除夜の鐘を撞つきます。私は毎年大きな声で「南無!」と称えながら撞きます。「南無」の一言で、阿弥陀様をはじめ、諸仏諸菩薩の御慈悲、おかげが頂けるようで誠に気分爽快になります。「南無」の一言の中には、心身の汚れ、悩みを吐き出し、全てを御仏にお任せする不思議なおかげがあります。その一つ一つを紹介する紙面はありませんが、「宗教は体験なり」の言葉通り、色々な体験を通じて感得出来るものです。
過日、遊行寺宝物館では、国宝一遍聖絵の展示が行われました。全十二巻の貴重な絵巻物が宝物館と県立博物館、金沢文庫、更に国立博物館の共同主催で行われ、開催日には行列が出来るほどの盛況ぶりでした。この展示によって、美術品としての再評価のみでなく、一遍上人の遺徳が再認識されれば誠に有難いことであります。
この十二巻の中で、特に私が胸を打たれるのが、十二巻最後の上人臨終の場面であります。上人が西の宮宮司に最後の十念を与える場面は、私に対して念仏行者の臨終はこのように静かで清らかであれ!と叱しっ咤た激げき励れいされているようで有難いです。上人は自分の死期を認識し、当初八月十八日と覚悟されました。それを開いた西の宮宮司は、その日は西の宮の祭礼の日ですからと上人と対面し、上人が最後の十念を与えながら臨終の日を延ばし、二十三日とされました。
近代医学の発達した現代ならば延命治療はそれほど難しいことではありません。しかし鎌倉時代にあっては正に他の模範となるべき偉大な大往生であります。この場面を見る度に、私は五十年前に八十四歳で亡くなった母を思い出します。
母は戦時中に、住職・長男・長女・二女の夫と四人の愛あい別べつ離り苦くを体験しながら、たった一人で南方軍従軍中の私の代わりに寺を守ってくれました。念仏信者の家に生まれ、日夜念仏を称え、御詠歌の名人でした。
近所の人びとが、「私は戦死した」と噂するなかで、何時も「阿弥陀様が守っていて下さるから、きっと帰って来る!」と言っては、念仏を称えていたそうです。
八年ぶりに、戦後の二十二年五月に復員した私は、半年も経たないうちに戦地での疲労、戦後の栄養不良、ストレス等々の為、当時死因第一の肺結核となり、医師から死の宣告を受けました。内心どんなにか心が傷んだか知れませんが、何時も「きっと阿弥陀様が救って下さるよ」と念仏を称えながら、辛つらい苦しい看病を続けてくれました。その母の姿が阿弥陀様の権化のように見えて、私もお念仏を称え九十七歳をむかえます。この優しい偉大な母が亡くなる三日前まで仏飯を供え、念仏を称えながら大往生しました。